北前船と坂越

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兵庫県立歴史博物館で開催されている北前船(地域と文化をつなぐ海のみち)新潟・兵庫連携企画展を見て江戸期から明治にかけて日本経済の主流をなしてきた、北前船について、たいへん珍しい 貴重な展示物がたくさん見られ、その当時の交通・物流・文化・生活・経済など興味をひくものがあった。とくにその当時の海運業をになってきた人たちは、莫大な利益を得た人が多く、絢爛豪華なものが、そこかしこに展示されていた。特に目を引いたのは、酒田の豪商の「べに花屏風」である。山形県指定文化財でべに花が商品になるまでの行程を絵で紹介した豪華ですばらしいものであった。また高田屋嘉兵衛が実際に使用した望遠鏡や船乗りたちが、危険な航海に覚悟してまげを切って出ていったあかしなどがあり、男のロマンをかき立てられる一面もおもしろかった。
さて その企画展で私が一番興味を引いたのは、ここ坂越に関する展示があったことだ。北前船と坂越がどう関連していたか、あまり知らなかったからだ。坂越に残る資料からはすでに1600年代から山形の酒田とは廻船による交易はあったようで、この日歴博でいただいた資料では、古着や塩等が酒田へ運ばれ、酒田からは米や海産物、紅花などがこちらに運ばれたそうです。この日開催された講演会では姫路の奈良屋と酒田の新渡戸家との交易について県立大の先生がご講演されていました。その中で、この両家の交易の間に京都の老舗が仲介に入り、信用取引きによる 現代の為替の原型ともいえる制度にて、資金が運用されていたそうです。坂越の廻船も買積み廻船がほとんどであったことから考えるとそういう為替制度で運用されていたのではと思われます。

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